STORY
1945年8月。広島と長崎への原爆投下、そして全国の空襲。都市も、工場も、輸送網も焼き尽くされ、日本は深刻な食糧難とインフレの、どん底から戦後を始めました。
それでも——1960年には国民総生産が自由世界第5位。1964年には、東京オリンピックを開催するまでになりました。世界が「奇跡」と呼んだ復興です。
焼けたのは、街と、工場と、設備でした。人々の頭と手の中にあるもの——知識、技能、設計力、現場力までは、焼けなかったのです。
この国の学ぶ力は、戦後に始まったものではありません。江戸の寺子屋では庶民の子が読み書きそろばんを学び、明治には世界を驚かせる人材を次々と生んだ。1930年の小学校就学率99.5%という数字は、二千年、この土地で歴史を紡いできた先人たちの、学びの積み重ねの到達点です。読み書きと計算を当たり前にこなす人材が、この国の隅々にいました。
石炭と鉄鋼が経済を再び動かし、繊維が輸出の半分近くを担って外貨を稼ぎ、その土台の上で、自動車と家電が高度成長の主役になりました。「三種の神器」が暮らしを一変させ、造船は1956年から長く世界首位。戦時中に航空機や精密光学を担った技術者たちは、その設計思想ごと自動車へ、鉄道へ、カメラへと移り、世界に評価される製品を生み出していきました。
改革も、特需も、政策も重なった復興です。それでも、その中核に、知識を受け継ぎ、技を磨き、より良いものを作ろうとした職人と技術者がいたことは、揺らぎません。私は、彼らへの感謝と尊敬の念が止みません。間違いなく、日本の誇りです。
そして、この歴史が証明していることが、ひとつあります。日本人が同じ方向を向いて力を出し切ったとき、この国は、世界を驚かせるということです。
いま、「失われた30年」と呼ばれる停滞の中でも、日本の現場には、世界に通じる技術と価値が眠っています。良い仕事をしているのに、知られていない。素晴らしいものを作っているのに、伝わっていない。あの時代と違って、いま足りないのは、つくる力ではありません。届ける力です。
私は、この国に生まれたことを、心から誇りに思っています。日本人のポテンシャルは、まだ、こんなものではない。その解放に、届ける力で貢献すること。岡山から、それをやり抜くことが、Yamato Worksの使命です。